二項対立とはー「音声」と「文字」はどちらが優位?

二項対立哲学

今はボイスメディアと言われているような、聞くメディアが流行ってきています。

何かが流行ると、何かが廃れる

その対象として、ブログの人気がなくなっていくのではないかと聞くことがあります。

デリダ二項対立を通じて、どちらが優位なのか見ていきましょう。

二項対立とは

二項対立とは、二つの概念が対立や矛盾の関係にあたることです。
また、そうした対立概念によって世界を単純化して捉えます。(広辞苑 参照)

「善/悪」「真/偽」「オリジナル/コピー」「西洋/東洋」「主観/客観」「音声/文字」など、前項が後項より優位だと西洋哲学で考えられているとデリダは指摘しました。(哲学用語図鑑 参照)

「善/悪」と聞けば、私たちは善が良いと感情で判断しています。(情動主義

しかし、一つの面では判断できない対立があることをデリダは発見しました。

悪い事をしたって叱られた。

勉強になってよかったね!

僕、本物をまねて絵を描いたよ。

上手だね!私は君の絵が好きだな。

僕は本物の方が好き。

人によってどちらが優位か変わります。

ジャック・デリダ(1930~2004)はフランスの哲学者です。

ナチス政権下でユダヤ人であったデリダは、「ドイツ人/ユダヤ人」という二項対立の思想に反発します。

根拠のない優劣があり、その優劣は弱者を排除する思考につながると考えました。

西洋人特有の思想から二項対立が構築されていると指摘したのです。

その中から、音声と文字に焦点を当ててみていきます。

二項対立から音声中心主義を考察

デリダは、「書き言葉よりも話し言葉を優先する思考」が西洋にあると考えました。

文字は音声のコピーだと西洋では考えられているそうです。

そこから、音声中心主義が生まれました。

音声中心主義とは、音声は文字より価値が高いと考えることです。

例えば、リンカーンの演説やスティーブ・ジョブズの演説などは歴史に残っています。

演説には力があります。

わかりやすく感情に直接ひびく。

音声には力があると感じられます。

しかし、デリダは音声中心主義の危険性を説きました

ヒトラーの演説を聞いたからです。

ヒトラーの演説は、ナチス政権を先導しました。

音声中心主義の解体をするために、デリダは音声と文字について考えていきます。

音声と文字の解体

私たちはどちらかの優劣を考えるときに、そのものを論じる傾向があります。

音声の利点は?

直接的、わかりやすい、生き生きと伝えられるなどが浮かびます。

文字の利点は?

くり返し読める、文字特有の表現がある、じっくり読めるなどが浮かびます。

僕は漢字がわからないから音声がいい。

私は読んだ方が頭に入るよ。

僕は曲を聞いていたい。

 

好き嫌いで決まってくるね。

このような利点を上げて対立させていくのは、逆転したとして、また逆の二項対立をつくり上げます。

では、デリダはどう論じたのでしょうか。

差延から音声と文字を考える

まずは音声があり、それを文字にするとします。

音声⇨文字

その過程で、違いは2つあります。

①動的な音声から、静的な文字へと移る。(差異
②音声から文字へと移るには時間のずれがある。(遅延

この違いをデリダは差延と言いました。

音声⇨文字と言う一方通行ならば、西洋で見られるオリジナル⇨コピーと同じように、音声が優位ととられてしまうかもしれません。

しかし、この差延はさらに続くのです。

音声⇨文字⇨音声⇨文字⇨・・・・

演説や何かを説明するときに、原稿を用意したり、本を読んでいたりします

音声を発するのに必要な文字であるのに、ここで優劣はつけられません。

そして、このように考えると疑問が浮かびます。

初めに音声を思い浮かべたけれど、初めは文字の可能性があるのではないか。

差延の始まりは音声なのか文字なのか

デリタによれば、人間は自分が知っている言葉の中から妥当なものを選んで思考しています

「客観的に把握したこと以外は言葉として表わさない」(ショーペンハウアー)

「言葉にできないことに対しては沈黙しなければいけない」(ウィトゲンシュタイン)

など、言葉として発する前に思考があると考えます。
思考についてはこちらもどうぞ。
>>アルチュセールの認識論的切断ー考えるを具体的に考える

思考は文字からも形成されています。

すると、図がこうなります。

⇨音声⇨文字⇨音声⇨文字・・・・

つまり、卵が先か鶏が先かという議論のように、どちらが先なのかわからなくなるのです。

矢印の前者を優位だと思っていても、その関係は逆転します。

漢字を知って言えることが増えた。

ラジオに感動して内容をまとめたよ。

このように二項対立の関係を解体することを脱構築と言います。

「音声」と「文字」の優劣がつけられなくなるのです。

しかし、優劣をつけないことによる批判があります。

では、この脱構築の問題点も見ていきましょう。

二項対立から脱構築の問題点

脱構築の問題点は、真理を追究できないことです

古来、ソクラテスは問答法によってソフィスト達による詭弁を批判しました。
>>ソクラテス「無知の知」のストーリーをたどる

ソクラテスは問答法によって真の知識をつけさせようとしたのです。

何が正しいのかわからなければ、殺人も許容されてしまいます。

より善い世の中にしようと、ソクラテスは普遍的真理を求めました。

ソクラテスに関する興味深い逸話があります。

文字では考えが正確に伝わらないと考えたソクラテスは、本を一冊も書きませんでした

思想を伝えるために本人に合わせて、質問も言葉使いも変えたことが考えられます。

弟子のプラトンがソクラテスの考えを書物に書きました。

プラトンは「国家篇」の発端を7回も書きかえたと言われています。

ソクラテスの教えを聞きつつ、その教えを正確に伝えたいと思ったプラトンが細心の注意を払ったことが想像できます。

プラトンの本のおかげで、私たちはソクラテスを知っています。

偉人たちのこのような逸話を聞くと、どちらが優劣とは言えなくなりますね。

さらに、二項対立を考えさせた人種差別を考えてみましょう。

二項対立を考えた思考

二項対立からの脱構築は、その対立を疑うことで発生します

例えば、デリダはナチス政権による民族差別の経験から、その二項対立を考えました。

でもなぜ、その二項対立がみんなに共有されていると考えたのでしょうか。

実際に迫害が起こっていたので、その経験から二項対立があることがわかります。

では、その経験の元はどこからやってきたのでしょうか。

単にヒトラーが人種差別をするだけでは、ここまで広がりません。

マルクス・ガブリエルは経験主義を困らせる方法を語ります。

本当にすべての知識が感覚的経験という源から生まれているとしても、その事実とされていることに関する知識はどうなのか?」(「私」は脳ではない 参照)

例えば、子どもに1+1を教えるときに、私たちは身近な物を用意して教えます。

この石が1個あるでしょ。ここにも1個。合わせると2個だよ。

それが1+1=2なんだね。

数は数字と同じではありません。

人は因果関係という経験に先立つもので、1+1を認識します。

石を1だとみることができるのです。

つまり、人は物事を認識するときに経験以外のものによっている。

人間は常に他者が自分に対して抱いていると考える信念とすり合わせながら自分の信念を育む」と本では語っています。

ここでは、教える側が石を1だと考えたいことに、子どもが同意しています。

二項対立を私たちは何らかによって築き上げているということです。

なので、このような二項対立があると言われれば、自分の経験によらずして私たちはいったんは納得してしまいます。

今ね、ボイスメディアが流行っているんだって。

人気があるんだね!聞いてみようかな。

優劣はないとは言え、この時点では流行りが音声に向けられています。

周りとすり合わせながら、自分は何が好きなのか嫌いなのかも判断しています。

流行りの中で優劣の関係が作られているのです。

流行り⇨廃り

文字と音声を脱構築しても、新たな二項対立を見つけました。
(流行りの反対語は不易なので、正確な二項対立ではありません。)

今回は文字と音声を論じているので、他の角度から音声が流行っている理由を見ていきましょう。

今は音声主流の時代?

なぜ今、音声が人気になってきたのかという一つに技術の発展があります。

少しの手間で調理が出来たり、車の性能も上がりました。

耳を何かに傾けて作業していても、それができるようになったのです。

自分の意志で自由に使える時間(可処分時間)を奪われません

テレビを見ながら、音声を聞きながら、というマルチタスクが一般的になりました。

ラジオ文化が根付いていた日本に、その代わりがくることは予測されます。

ユーチューバーが消滅する未来」(2018 岡田斗司夫)を参考に、メディア論を見ていきます。

新聞、ラジオ、テレビという20世紀型オールドメディアが、ブログ、ツイッター、ユーチューブのネットメディアに移行しました

ブログは新聞のように流行を発信するメディア。
ツイッターはラジオのように、世間の流行を把握するためのメディア。
ユーチューブはテレビのようなメディア。

新聞⇨ブログ
ラジオ⇨ツイッター
テレビ⇨ユーチューブ

このように、対比させていました。

でも、と少し違和感に思うのは目や耳の感覚から見たときの比較です。

ブログやツイッターは視覚が主です
ユーチューブは視覚と聴覚です

ラジオの聴覚を使った今現在のネットメディアはボイスメディアです

ラジオの枠に正当な立ち位置としてボイスメディアが来ることは予測されます。

時代の移り代わりで見れば、後継メディアと考えられます。

人が3種のメディアに引き付けられると考えるならば、ボイスメディアはやってきます。

ただ「流行」の反対語は「不易」(いつまでも変わらない事)と言われています

流行り廃りでみるのではなく、その奥にあるメディア形式はいつまでも変わらないのかもしれません。

二項対立とはーまとめ

デリダは西洋に音声が文字よりも優位だと考える音声中心主義があると言いました

二つの概念が対立や矛盾の関係にあたることを二項対立といいます。

その二項対立を解体することで、音声中心主義からの脱構築をこころみました。

音声⇨文字

この関係を構築しなおします。

⇨音声⇨文字⇨音声・・・

このように捉えることで優劣をなくしました。

さらに、二項対立を脱構築する問題点を述べました。

脱構築をすると、普遍的真理を追究できなくなる。

しかし、人には経験より先に何かの判断基準がある。
それによって、自分と他者の思想をすり合わせようとするとマルクス・ガブリエルは考えました。

脱構築したとしても、また二項対立は出来てしまうのです

今、流行っているという理由、いつまでも変わらないものがくるという理由からボイスメディアが来ると予想します。

昔流行っていたものがまた復活すると考えれば、ラジオの正当な後継メディアとしてボイスメディアがやってきます。

どちらが優劣ではなく、今向かっている矢印が文字⇨音声なのかもしれません。

音声と文字は哲学としても考えられていたんだね。

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