でたらめと嘘ってなに?「とてつもない嘘の世界史」から

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このブログの内容は私がHimalayaラジオで発信したものになります。

カテゴリー「ラジオ日記」で、過去に配信したラジオ内容を手直ししつつブログにUPしていきます。

なぜこの形式をとろうとしたのか

私はブログ記事を精密にして、時間がかかりすぎてしまうようになりました。

でも、それだと私の感情がでないと思ったのです。

人に言葉を伝えるには感情

最近、このことを考えています。

もっと気楽に読んでいただきたい。

そのように思い、私が毎日配信しているラジオを抜粋。

読みやすい形でブログ記事にしていこうと思いました。

では、一回目の今日は「とてつもない嘘の世界史」から、

でたらめと嘘ってなに?」をお伝えします。

気軽に読んでみてね。

でたらめと嘘ってなに?

でたらめと嘘の違いってなんだと思いますか?

とてつもない嘘の世界史」から感じた疑問です。

本では真実を知っていないとつけないのが嘘で、なんでも言えるのがでたらめだと述べられていました。

嘘  ⇨真実を知っている
でたらめ ⇨なんでも言える

嘘は本当を隠しながら言わなければいけないので、自由度が少ない。

かえって、でたらめは嘘を含めるし、本当を知らなくてもいいから自由度が高い。

自由度の比較だとでたらめ>嘘になります。

この定義でいくとでたらめの定義が広すぎて、すべてがでたらめになってしまう可能性があります。

嘘はだめっていわれたけど、でたらめならどうかな。

目的によるかな。

私たちは日常的にでたらめに接している。

質問からでたらめを探っていきます。

あなたが寝ていると急に電話がかかってきました。

その電話の相手はあなたに問います。

今何時?と。

あなたは9時だと答えました。

さて、ここで時刻が間違っている可能性をいくつか述べてみてください。

①寝ぼけていて勘で9時といった可能性。
②くるった時計をみていて9時といった可能性。
③電話の相手が信用がおけなくて、わざと間違えを言った可能性。
④夢かと思っていった可能性。
⑤相手が外国にいる可能性。
⑥言っている間に時間が進んでいる可能性

真実は9時だとしても、そうではない可能性がたくさんでてきます

この質問で見えてくること。

私たちは9時という本当のことよりも、間違えている可能性をおもしろがっているということです。

可能性はクイズにすらなります。

大半の歴史はそうで、実は真実よりも嘘のほうが有利に働いていると本で述べられていました。

未だに真実なのかどうかわからない歴史の解釈はたくさんあります。

そして、真実って実はつまらないものだと書かれていました。

目立たなくってひっこんでいる。

この例題で言っても、事実を知らないから問いとして楽しめるのです。

そして、わからないことを楽しみだすと、真実を見なくなります。

「物事がほんとはどうであるかに無関心」であることがでたらめの神髄

このように本では語られていました。

本当を知っているのが嘘で、本当を知らないのがでたらめです。

嘘はきめ細やかな面に着目し、分析を必要とするたくみな芸当

それに対し、大きな問題となるのはでたらめであると述べられています。

私たちは「ほんとに無関心」になっている。

では、日常的にでたらめに接している私たちの問題とはどのようなものになるのでしょうか。

世の中でたらめだらけかもしれない?

物語は楽しいよね。

真実の話とでたらめの話。

歴史を通じて、真実の話かでたらめの話かを比較したら私たちはよくできた作り話を選択しています。

プロフェッショナルはストーリーで伝える」など、私たちは物語を信じやすいと言われています。

真実ではなく、物語で伝えられることで記憶しやすくなります。

そして、誰もが昔から気に入っている物語は受け入れやすい。

それが嘘だとしても、確かめることが難しい場合にそれを信じるしかないからです。
そして、情報が安く売られるようにもなりました。

1830年頃、ニューヨーク新聞は6セントだった。
贅沢品としてエリートに売られていた。

1833年、サン紙ではたった1セントで新聞を売った。

このような歴史的な変化がありました。

なぜ安くなったかと言うと、広告収入をつけられるようになったからです。

新聞が大衆文化になりました

新聞が大衆文化になることで、各社の攻防戦が始まったのです。

正確さより騒動を引き起こすことが優先になりました。

こしらえたパロディーはまず例外なく本当だとみなされます。

パロディーを台無しにしないための工夫もされていきます。

ニュース記事は多かれ少なかれフェイクありで書かれます。

何が本当におこったのかを見定めることが出来なくなったのです。

例えば、山がない場所に100年間堂々と山の地図がありました。
アフリカ大陸を2つにに分けたといわれるコング山脈。

他にも2012年に実はなかったとされたサンディー島という逸話もあります。
調べることが困難な地だったため、調べたと嘘をついた話だけが本当になって広まりました。

確かめる労力の壁と情報の真空状態が生じます。

私たちが本当の話だと思っていたことが真実ではなかったと言う話はよくあるのです。

例えば、哲学は真実を突き詰めようとする過程ですが、定義からすれば本当を知らないのででたらめになってしまいます。

けれど、少なくとも「ほんと」に関心を持っているので、でたらめの神髄ではありません。

では何が本当なのか。

嘘を成立させるための定義として、本当は作っていくものなのかもしれません。

そして作り上げられたものを本当と信じるので、それを偽る嘘がつけます。

これは本当に本当だよ!

うん、信じているよ。

でたらめとうそのまとめ

嘘  ⇨真実を知っている
でたらめ ⇨なんでも言える

この二つの違いから、私たちは普段でたらめな話に接しやすいことがわかりました。

しかも、でたらめな話をおもしろがります。

「物事がほんとはどうであるかに無関心」であることがでたらめの神髄です。

ただし、「ほんとがどうであるかに関心」を持っている場合があります。

哲学や科学などです。

その場合、「本当とは作り上げて信じるもの」という定義をとることで、嘘が成立します。

嘘をつくときに、分析をしたり精密な理論を必要とします。

でたらめと嘘を分けることで、普段接している情報に意識的になれます。

でたらめと嘘にも感情が関与するんだね!

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