自分の記憶はどこまで正しいのか。
私たちは会話をするときに記憶をたぐります。
あまり疑うことのない記憶ですが、その記憶が間違っている可能性があります。
間違っていた場合、それは虚偽記憶です。
自分を知るためにも、記憶と向き合ってみましょう。
虚偽記憶とは
虚偽記憶とは、実際には起こっていない出来事が、事実として記憶されてしまうことです。(図解心理学用語大全)
アメリカの認知心理学者エリザベス・ロフタス(1944~)によって唱えられました。
五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)で感じた記憶は感覚記憶として保存されて、そのうち自分が重要だと思ったものが短期記憶として保存されます。
そして、さらに重要だと思ったものが長期記憶に移るのですが、ここで虚偽記憶が起こると考えます。
虚偽記憶が考えられた経緯について見ていきましょう。
虚偽記憶が考えられた経緯
ロフタスは、目撃者の証言だけで犯人を決めていいのかという疑問を投げかけます。
詳しく見ていきましょう。
犯罪が起こったときに、刑事は目撃者に写真を見せました。
「この中に犯人はいますか?」

ええっと、この人だと思う。
初めは似ている気がするという認識が起こります。
その似ているという認識に基づいて目撃者は自分で虚偽記憶をつくり上げます。

そうだ、そうだ。
確かにあの写真の人だった。
このように、自分の認識を正しくしようとします。
刑事の質問の仕方によっては、それに合わせようとして虚偽記憶をつくり上げます。
「犯人は力が強いことが推測されます。」

(力が強そうな写真はどれだ?)
この写真で間違いありません!
目撃者が嘘をついている自覚があるわけではなく、記憶を形成しています。
この例は記憶の一部をつくっていますが、記憶自体もつくりあげられることが実験でわかりました。
詳しく見ていきます。
虚偽記憶の実験
ロフタスは、幼児期に親に虐待されたと言う人に虚偽記憶の可能性を見つけました。
そこから「ショッピングモールの迷子」という実験を行いました。
実験では、被験者が昔に体験したことを親から聞いてメモしました。
そのメモの中に、実際には体験していないショッピングモールで迷子になったというエピソードを加えます。
親からそのエピソードをもらった人は、実際には経験していないことも記憶として作り上げることがわかりました。
被験者の4分の1が作り上げたそうです。

迷子になったとき、店内放送してもらって迷子センターで見つけたんだよ。

そっか、私は迷子になったことがあったな。
懐かしい。
嘘をついているわけではなく、実際にあったことのように思いこみます。
ロフタスはこの実験から、事実を明確にするため様々な裁判に参加しています。
ロフタスは認知心理学者なので、認知心理学の考え方にも触れてみましょう。
認知心理学の考え方
認知心理学は人間の脳をコンピューターのハードと捉え、心をプログラム(ソフト)だと考える学問です。
=
刺激 ⇨ 認知(脳の中の心)⇨ 行動
哲学で言えば、機能主義にあたります。
機能主義では、心は機能によって定義できると考えます。
>>【 機能主義 】私は脳の機能であるとはどういうことか
私は機能によって定義できないと考えるのは、認知心理学の土台を疑うことになります。
なので、その場合は心の哲学へ移ります。
人間特有の思考や記憶などを、コンピューターと重ね合わせることで、心の仕組みを理解しようとする学問が認知心理学です
認知心理学の土台として考えられるのは、有用であれば真理という考え方です。
>>ネオプラグマティズムを具体的に解説
記憶はあいまいなもので、虚偽記憶があることがわかりました。
虚偽記憶で困るのは、裁判で冤罪の可能性がでること。
虚偽記憶が活躍するのは、自分が持つ嫌な体験やトラウマが変更可能なこと。
有用であれば真理という考え方でいけば、虚偽記憶の有用性が浮かびます。
もちろん、実験による検証は必要です。
では、どのように虚偽記憶が形成されるのか、社会学の視点からも見てみましょう。
個人的記憶と集団的記憶
フランスの社会学者モールス・アルヴァックス(1877~1945)は、個人的記憶と集合的記憶を考えました。
集合的記憶とは、集団が持つ枠組みによって生まれる記憶のあり方です。(社会学用語図鑑 参照)
例えば、今で言えばコロナショックを連想してもらって、一人一人の記憶からコロナショックとはどのようなものかで集合的記憶をつくり上げます。
一人の頭だけではなく、それを経験した人たちが持つ枠組みによって構成されていると考えます。
詳しく見ていきます。
・コロナショックで外出が出来なくなったと語る人の記憶。
・アルコール、マスク、石鹸が売れていると記事を読んだり書いたりする人の記憶。
・テレビやニュースを見る人、作る人の記憶。
これらが合わさって、集合的記憶が作り上げられます。
そして、この集合的記憶が合わさることで想起されるものが個人的記憶です。
個人的記憶とは、個人の頭で様々な集合的記憶が合わさることで想起されるものです。
個人がコロナに対する個人的記憶を上げていくとします。
・コロナショックの集合的記憶から、外出が出来なかったことでコロナに対して悪い印象を持つ。
・家族の集合的記憶から、コロナで会いに行けなかったことでコロナに対して悲しい印象を持つ。
・仕事の集合的記憶から、コロナでリモートが進んだり会社を休んだことで、コロナに対して時代をネット化させた印象を持つ。
このように思い出は一つの集団の枠組みから起こるのではなく、複数の枠組みから起こります。
コロナショックという社会現象からだけでなく、他の集団の枠組みからもコロナに対する個人的記憶が想起されます。
個人的記憶=個人の頭で様々な集合的記憶が合わさることで想起されるもの
この集団的記憶と個人的記憶がどのように虚偽記憶と繋がるのかを見ていきます。
虚偽記憶は個人と集団で作られる。
コロナは恐怖の存在として語られることが多くありました。
今でも経済が悪化していたり、死者数が戦争を超えたりしています。
集団的記憶としても、全体としては悪いイメージがつきまといます。
しかし、このコロナを人間の長い歴史の中であった疫病の一つとして見ます。
疫病が流行るときに、それを改善させようと新たな思考や発明が生み出されます。
私たちは過去の疫病を体験していませんが、その疫病の医学のおかげで今ではその疫病に苦しむことは少なくなりました。
水道水の塩素処理、天然痘撲滅、ペニシリン、各種予防接種など、悲惨な過去としてではなく、今に役立てられた発明や開発だと私たちは見ています。(21世紀の啓蒙㊤ 参照)
過去の疫病は、その当時は今のコロナショックの様態だったのですが、歴史の後の人々はその出来事に恩恵を感じます。
疫病が再評価されることによって、集合的記憶が書き換えられるのです。
つまり、現在は過去の記憶を変えていくのです。
この変化するという点に着目します。
虚偽記憶の実験で、被験者は親から子どもの頃のエピソードをもらったとき、記憶をつくり上げました。
現在の情報によって、記憶をつくりあげたのです。
アルヴァックスは集合的記憶は絶えず書き換えられ、過去は現在から再構築されると考えました。
集合的記憶が変わったときに、個人の記憶も変わります。
一部が変わったり、作り上げられたりすることもある。
それは、虚偽記憶が形成される過程と似ています。
虚偽記憶は私個人が社会に合わせようとして作ることがあるのです。
アルヴァックスは「過去は心の内部ではなく外部の空間に宿る」と指摘しました。
外部の空間から記憶が作られるとなれば、虚偽記憶は幅広く捉えられます。
個人にだけ当てはまるのではなく、社会全体に当てはまります。
彼は心理学と社会学の統合をはかったと言われ、再評価されています。
虚偽記憶から自分を見る利点
自分の記憶が虚偽記憶である可能性を検討します。
すると、過去のトラウマは実際にあったことなのか、疑問になります。
例えば、自分にとって嫌いだと思う人がいたとします。
嫌いと思うまでには、何かしらの記憶が関係してくるでしょう。
まずは記憶を思い出します。
そして、虚偽記憶であるのか、ないのかを疑うことができます。
とはいえ、自分ではそれがわからない可能性がでてきます。
そのときに頼るのは集団的記憶です。
その記憶はどの集団的記憶によって生まれたのかを分析できます。

私は花子を嫌っていたけど、それは私の友人の集団的記憶によっていたのかもしれない。
本人の特性もあるけれど、それを形成させている集団的記憶があると考えられます。
その集団が好きな場合、その集団的記憶に敵対するものは嫌いと思い込みます。
虚偽記憶と集団的記憶を意識すると、ある特定の自分の思考の傾向が見えてきます。
より客観的に物事をみるのに役立ちます。
虚偽記憶は記憶を思い出すときに作用します。
その観点からも利点を見てみましょう。
記憶を思い出すという観点から
私は以前、記憶を思い出すことによる利点を述べました。
記憶を思い出して説明しようとするときに、私たちはより分かりやすく伝える傾向があります。
>>記憶とはーストア派哲学から、記憶力がないと役立つ心理学
分かりやすく伝えるためには、細部は変更されています。
この細部の変更を虚偽記憶として捉えることもできます。
例えば、よくお笑い番組で面白いエピソードが語られます。
それが実際にあったのか、なかったのかは疑問になりますが、分かりやすく伝えるためにはどこかを強調したり省いたりします。
そこから視聴者はその様子を連想します。
その連想するもの自体も虚偽記憶になりやすいことは注意が必要です。
ロフタスは他の実験として、被験者に記憶を思い出してもらうときに使った言葉によって、その内容が変わることを発見しました。
激突 ⇨車の窓ガラスは割れたと思い込む
ぶつかる ⇨車の窓ガラスは割れてないと思う
言葉によって、連想される記憶が違ってくるのです。
虚偽記憶は私たちの生活の身近なところにあります。
嘘だからと嫌な気持ちになるのではなく、自分にとって有用になるように分析することができます。
虚偽記憶ーまとめ
自分の記憶はどこまで正しいのか。
それを調べるために虚偽記憶を見てきました。
虚偽記憶とは、実際には起こっていない出来事が、事実として記憶されてしまうことです。
ロフタスは事件の目撃者の証言から虚偽記憶があることを推測し、実験しました。
虚偽記憶は、本当かそうではないのか自分ではわからないことがあります。
それを検討するために、アルヴァックスの集団的記憶を用いました。
私たちは根拠がなく記憶を信じます。
そして、その記憶によって好き嫌いが生じてきます。
その感情は記憶に由来していることがあります。
虚偽記憶は私たちの生活の身近なところにあることがわかりました。
記憶を検討することによって、より客観的に自分を知ることができます。

思い出す記憶に私の傾向をみることができるね。
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