ベルクソン「思想と動くもの」を読んでみよう。

思想と動くもの哲学

ベルクソン「思想と動くもの」は1998年に発行されました。

アンリ=ルイ・ベルクソン(1859~1941)は主に時間直観で有名な印象を受けます

ベルクソンは1927年にノーベル文学賞を受賞。

思想と動くもの」について講義をしたら、当時の御婦人方に大人気になったという逸話も。

さらに、本のあとがきでこのように語られます。

「これはベルクソンの哲学であって一般の哲学ではないというにとどまらず、一般に哲学ではなくなってしまうかもしれない」
「悪くすると、哲学を求める者の希望をくじくおそれがあるかもしれない」
と述べられています。

そんな哲学は気になりますよね。

なので、私が名言だと感じた思想をまとめ、その上で全体の思想に触れていきます。

ベルクソン「思想と動くもの」要約と解釈

「思想と動くもの」の第一部ではこのような言葉から始まります。

哲学にもっとも欠けているのは厳密性である。

哲学に欠ける厳密性とは

この文から、どのようなことが厳密ではないのかをツイートにまとめました。

私は以前の記事で、「哲学は科学」とはどういうことかを取り上げました。
>>言語論的転回とはー「哲学は科学」といわれる理由

言語論的転回を簡単に言えば、頭の中のもやもやを直接のぞくようなモノの考え方が、言語を分析すればモノが見えるという考え方に変わったことを指します。

意識の中を直接探る ⇨ 言葉の意味の分析から探る

ベルクソンはこのモヤモヤを哲学で表現したいからこそ、厳密性に欠けると言っているのではないかと私は解釈しました。

言語から分析するやり方ではどうしても欠けてしまうものがでてきます。

それは、時間です。

固定された文章の中では、現実にある時間をうつしきれません。

それを実感するには、このようなエピソードがあります。

紙で行う計算上のものと、現実とが離れていることを表しています。

これらは、ベルクソンが時間について考えていることがわかるエピソードです。

ベルクソンは時間を取り扱ったため、時間を視野にいれていない哲学を批判しました

次に観念について見ていきましょう。

二つの観念とは

観念とは、人がそれぞれに抱く主観的な考え方のことです。

ベルクソンの観念を二つの見解に分けてまとめました。

このことを具体例で示すツイートがこちらです。

観念二つを図にします。

①理解したつもりの観念
②まったく新しい観念

①の理解したつもりの観念では、新しい言葉を聞いたときに、すべてを自分が過去にあったことがらに当てはめて理解します。

自分の既存の型に、思想をあてはめます。

そうすることで「新しい観念」であったはずのものが、新しくなくなってしまいます

②は「新しい観念」の形を保つ工夫がされています。

その観念を持ち歩くことで、既存のものとはちがう事柄と結びつきます。

例で言えば、だいだい色だけを見た可能性を探っていきます。

この場合、新しい物事と「新しい観念」を結びつけるために時間がかかります。
(時間の説明は後述)

ベルクソンの時間に対する考え方が、観念についても表れています

時間をかけることでしか、新しい観念にならないからです。

次にイメージについて述べていきます。

イメージとメタファー

メタファーとは、具体的なイメージを喚起する喩えたとえのことです。

「時間はお金だ」とか「雪の肌」、「君は太陽だ」などが例になります。

私のイメージを直接的なモノに例えます。

まずはベルクソンのイメージと比喩表現についてまとめました。

暗喩とメタファーを調べていくうちに、この用例は間違いだということが発覚しました!

メタファーや暗喩では「~のような」という表現を使いません

正しくは「狼の食べ方」、「宝石箱の食事」というように直接的に表現します。

ただし、私がここで言いたかったことは、表現をイメージすることでその状況が浮かんでくることを言いたかったのです。

上の意味で言うと、物を食べるときに狼のように飲み食いしたというと、その状況が浮かびます。

宝石箱の食事といえば、その記述者の精神まで考えたくなります。

このようにイメージを膨らませることができるのがメタファーや比喩表現です。

しかし、メタファーだけでは欠けているとベルクソンは言います。

ここでのメタファーは「表象としての世界」や「世界はメタファーだ」です。
(こちらのメタファーの使い方は合っています。)

直接的に表現されると、世界を単純化して捉えることができます。

しかし、単純化して捉えるとそこで使った言葉の意味が幅広くなります。

表象という言葉にいろいろな意味が足されて、言葉が捉えきれなくなるのです。

こんな疑問が浮かびませんか?

その単純さだけで表されるのが世界なのだろうか?と。

わかりやすさで捉えることも必要だけれど、それですべては語ることができないとベルクソンは主張しています

言語と言語以外の可能性があることをベルクソンは述べています。

冒頭に述べた、一般的な哲学を破壊する哲学、という内容が浮かんできますね。

言葉だけでは語りつくせない内容にも焦点を当てているからです。

では、次に工作することを見ていきましょう。

ホモ・ファーベル

工作者としての人間も見ていきます。

ホモ・ファーベル(工作人)はベルクソンが規定したと言われています

続けて次のツイートも、工作者について表しています。

これは、既存の哲学について述べています。

哲学でなぜ問題解決ができるのかというと、人が言葉を考え出しているからです。

考え出されている言葉に対しては、回答が与えられています。

これは言語から読み解く哲学です。

しかし、ベルクソンはそこからさらに「生命の躍進エラン・ヴィタール」が必要だと述べます。

生命の躍進とは、「よりよく生きたい」というエネルギーが予測不可能な新種を生むことを表します

この場合で言えば、既存の言葉では言いあらわせない事実を、他の言葉を作ることによって表わすことです。

存在するものに向かうのではなくて、存在しないものに向かいます。

産み出すことを試みよう。

このようにベルクソンは述べます。

また一般の哲学を超えてきましたね。

ただ言葉の解釈をするのではなく、もっと核心に迫った言葉を作ることを要求します。

これらから、ベルクソンが人間をホモ・ファーベルと発案した理由がうかがえます。

哲学者が自分の学説を変えていくのは、いつも言葉以上のものを考えているからです

「一つの哲学をそれでないもので作りなおし、そのまわりにあったものと結びつけるこの準備的な努力をしなければ、おそらくいつまでたってもその哲学の真相には達しないでしょう。」と、ベルクソンは述べています。

真相に達するために作りなおします

次に、哲学者がとるべき態度にも触れていきます。

ベルクソンの哲学における態度

ベルクソンは哲学者の態度を述べています。

ここでは「頭のいい人間」を器用に話す人だと述べています。

その理由は、新しい可能性を視野に入れないからです。

ベルクソンは、われわれの表現の手段としては二つのものしか持たないと語ります。

①概念
②イメージ

ある言葉を知って、その意味を考え出すときに自分で理解をしますよね。

この時に、概念だけで理解すると器用に話す批判ができるのだと私は考えました。

イメージして新たな可能性を考えれば、すぐにはその言葉に向けて批判が生じなくなります。

続けていきます。

言語だけが哲学だと言わないベルクソンならではの考え方です。

「一口に言うとすべての事物を持続の相のもとに見るような習慣をつけましょう。」

「哲学はすでにわれわれに喜びを与えることができるでしょう。」

ベルクソンはこのように、哲学を実生活として身近に置いています

さらに、次のツイートはいままで見てきたまとめになります。

死んだ哲学、生きている哲学という比較表現をしていました。

これらをまとめるとこの図になります。

①死んだ哲学=言語だけで規定されている哲学
②生きている哲学=新たな可能性をつくる哲学

哲学には両面があります。

さらに、生きた哲学についても述べています。

この矢印が生きた哲学へ向かっている過程とも取れます。

工作する過程を説明しています。

 

ここまでが「思想と動くもの」の緒論、可能性と事象性、哲学的直観、変化の知覚、哲学入門になります。

では、一般的にベルクソンはどのような解釈をされているのでしょうか。

続哲学用語図鑑」を参考にして見ていきます。

一般的なベルクソン哲学の解釈

ここでは2つの用語の説明をします。

時間

純粋持続心の中の時間の感覚とします。
それを意識しながら、次の文に進みます。

ベルクソンは、純粋持続を「質的変化以外のものではないはずであり、その変化は互いに溶け合い、浸透し合い、正確な輪郭を持たず、互いに対して外在化するといういかなる傾向もなく、数とのいかなる近似性もない」(『時間と自由』)とまとめている。

続哲学用語図鑑

詳しく見ていきます。

私たちは普段、時間をみるときに4つの見方をします。

①モノの移動(秒針が進むイメージ)
②量の変化(砂時計のイメージ)
③形の変化(成長するイメージ)
④数値の変化(デジタル時計)

ベルクソンはこれらを時間とは考えませんでした

例えば、参考書を積み上げたとか、テニスの上達にかけた記録など、量や数値を時間とは考えません。

時間とは、意識の中に感情や記憶が絶え間なくあらわれることで持続する質的変化です

時間とは意識の流れのことをいいます。

「新しい概念」を獲得するには時間を必要とすると述べていますが、その時間はこのような意味で使われています。

次に直観をみていきます。

直観

ベルクソンの直観とは、動物の本能を人間の知性で意識化したものです。

生命の躍進」(エラン・ヴィタール)がここでまた出てきます。

生命の躍進とは、物質の抵抗をうけつつそれが生命の内側から発せられるエネルギーです。

人間が「生命の躍進」により発達させたのが知性

動物が「生命の躍進」により発達させたのが本能

動物の本能と人間の知性が合わさったものが直観になります。

本能+知性=直観

「思想と動くもの」から「生命の躍進」を考えると、まだそこにないものを生み出そうとする生命の内側からのエネルギーです。

これは、未来に向いています。

私たちは通常、「真実」はすでに実在しているものと一致していると考えます。

しかし、そうではなく、まだ実在していないものの関係によって「真実」を考えるのです。

作り出そうとするものに「真実」を見ています

これ、おいしい!
いや、おいしいって表現だけじゃ表せられない。

表わせられる何かを見つけようとがんばってみてね。

ベルクソン「思想と動くもの」まとめ

ベルクソン「思想と動くもの」について12個のツイートと、概念をまとめたものを紹介してきました。

・哲学の言語直観との関係性

・時間は質的変化

・「新しい観念」の捉え方は時間が必要

・イメージにおけるわかりやすさと、それだけでは捉えられないモノ

ホモ・ファーベル(工作人)と、そこに現れる「生命の躍進」(エラン・ヴィタール

・哲学者として哲学を身近にする態度

これらを見てきました。

哲学をもっと身近に感じたくなるね。

ベルクソンはウィリアム・ジェームズに影響を受けています。
ジェームズの実用主義についてはこちら。
>>ネオプラグマティズムを具体的に解説

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