思想家の2つのタイプを思索する‐ショーペンハウアーの言葉から

思想家の二つのタイプ哲学

思想家の2つのタイプ



あなたが今考えていることはどちらでしたか?


自分のため?


他人のため?


思想家には2つのタイプがあると哲学者ショーペンハウアーはいいます。
ショーペンハウアー「読書について」を引用していきます。

ほとんどの思想は、思索の結果、その思想にたどりついた人にとってのみ価値をもつ。ただ思想家には2つのタイプがあり、一方が真の思想家だ。


ショーペンハウアー先生!?

2つのタイプって?

思想家の2つのタイプ


①自分のために思索する者。

②他人のために思索する者。


①の自分のために思索する者は、真の思想家である。
彼らは真の哲学者、知を愛する者で、真剣に自分を打ち込んで事柄を知ろうと努めている。
この知を得ようとする思索にこそ彼らの存在の楽しみも幸福もある。

②の他人のために思索する者は、ソフィストである。
彼らは世間から思想家であると思われることを念願し、名声の中に幸福を求める。
この知を得ようとする思索は、他人本位である。

自分のために思索する思想が真の価値を持つ

2つのタイプがあるのか。
でも、私がそれをそのまま信じたとすれば、私はただ先生に従っているだけの人になっちゃう。
①のタイプに真があると言ってるのはどうして?


他人のために考えるとは


自分のために考えることの比較として、他人のために考えることを考察していきます。

1+4はいくつですか?

いきなり問題!?

そんなの簡単!5だよ。

では、5歳の子どもにそうなることを教えてあげて下さい。

ええっと、手をだして。こっちの指を1本立てて。こっちの指を4本立てて。数えてみて。こうすれば、5になったでしょ。


あなたは今、他人のために考えました。
このとき、どのように考えたかをみていきます。


おそらく、まずは答えを探します。
そして、次に移ります。
分かりやすいのは何かなと考えて、例を考え出します。

この考える手順で、まずは答えを見つけ出しています。
相手のために考えてあげようと思ったときに、まず答えを探さなければ、相手は困ってしまいます。

早く教えてよー!


すぐに答えが出せないと、相手は困ってしまいます。
なので、もし自分がわからなかったとすれば、答えを見つけだすために、様々なものを参照にします。

自分のために考えるとは



次に自分のために考える場合を考察していきます。


1+4=5などは、簡単だったので答えの5についてはすぐに答えが出てしまいます。
それでも、もし自分のために1+4を考えることになったとしたら?


あなたはふと、疑問に思うかもしれません。
どうして5になるんだ、と。
この場合、答えを要求されないので、気ままに足し算の成り立ちについて考え出すかもしれません。

そっか、答えは5以外のことについても考えるかもしれない。


このように考え出したとしても、困る他人は出てきません。
それは、自分のために考えているからです。

子どもによく思われようとか、評価を下げないようにしようとか、そんなことを考えなくても済むから、自由な思想になるね。

他人のために考えた場合に来る虚無感とは


そのように考えると①②のタイプと厳密には分けられません。
他人のために考えようとするときと、自分のために考えることが混在もするからです。

私は自分で考えたときに、その内容がすでに本に載ってたり、答えが出てた時に落ち込むよ。
それって、他人のために考えているから起こることなのかな?


次に思想からくる虚無感を考察します。
(この虚無感はこの記事でも取り扱いました。)
もし自分のために考えていたとしたら、自分のために考えた内容がすでに本にあったとき、それは本当は喜びになります。
みんながある「真理」を探そうとしているときに、同じ思想にたどり着いたとすれば、それは「普遍的」な思想に近いことになるからです。
思想として間違っていなかったとお墨付きをもらえるようなものです。

ただここで虚無感を感じてしまうことは、他人のために考えていると言えます。
自分だけのオリジナリティが出したい!
認められたい!
という思いが前面に出ているからです。

私はよく虚無感を感じることが多かったけれど、自分のために考えていれば、嬉しいことになるんだね!

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