カントの道徳法則から、道徳を具体的に考えていきます。
今注目をあびるマルクス・ガブリエルは「倫理の普遍性を擁護するという意味で、新実在論は啓蒙主義を再起動するものですね。」(未来への大分岐)と言っています。

21世紀の哲学に、倫理(道徳)はかかせないんだね!
その倫理の元になる思想に、近代の哲学者イマニエル・カントがいます。
このブログでは認識論で取り扱いました。
認識の仕組みを脳科学でわかる前から説いた大天才です。
では、詳しく見ていきます。
カントの道徳法則とは
カントの道徳法則とは、人間界にある従わなくてはならない法則です。
道徳法則は良心の声で『汝、~すべし』と私たちの理性に訴えてきます。(哲学用語図鑑)
カントにとって道徳とは普遍的なものです。
具体例で見ていきます。

道徳と言えば、人が死んでしまうから戦争はしてはいけない!

そう道徳だよね。でも、人が死ななかったらいいの?

じゃあ、人が傷つくから戦争してはいけない!

同じように、人が傷つかなければいいの?ってなるよね。

じゃあ、戦争はいけない!

そう、ダメなものはダメっていうのが道徳法則だよ。
道徳的な行いが善いものだっていうのが先天的にあるんだって。

うーん、なんとなくあるような気がする。
戦争はいけないって思ってるし。

そうそう、道徳法則はみんなが納得できるような行いのことで、普遍的なものなんだって。
この道徳法則によれば、〇〇だから、という条件や根拠をもたないことによって、道徳が普遍的なものになるとカントは説明しています。
条件や根拠は否定することができます。
その否定をもたないからこそ、道徳は無条件で普遍的なものであるという結論になります。
カントの言葉を哲学用語で説明します。
この「〇〇だから、〇〇せよ」という条件や根拠を持つ言葉を仮定命法。
「〇〇せよ」という無条件の命令を定言命法といいます。
この表が成り立ちます。
道徳法則は定言命法によってなりたちます。
しかし、ある疑問がでてきます。
道徳は無条件で普遍的なものだとわかるのか、それとも時と場合によって左右される相対的なものなのか、という問題です。(「死刑 その哲学的考察」参照)
私は時代によって知の枠組みが違うという話を書きました。
それにそって考えてみます。
カントの道徳法則は普遍的なのか相対的なのか
カントの道徳法則による道徳は、時代によって変わる相対的なものなのかどうかを具体例を通してみていきます。

私は1795年に「永久平和のために」を書いた。
そこで初めて戦争の違法化を説いた。

それまでは、歴史上のほとんどの時代に戦争は違法ではなかったんだよね。

私が説くことがきっかけの一つになって戦争が違法化された。

戦争がいいものだとされてたんだけど、昔の人々は国家や神様に服従してたんだよね。(社会契約論)

そう、国を統治する人にとっては、戦争による利益があった。
でも、民主主義が説かれて、戦争が違法化された!

戦争に対して価値観の変化が起きたなら、相対的なのかな?

人は学習を重ねていけば、その信念が道徳法則と一致する。
人々が学んで、戦争が違法化されたんだよ。
だから、相対的ではない。

でも、知識人でも死刑制度が良い悪いとか、意見が割れてるよ?

死刑制度も道徳で考えなければいけないね。
私は死刑制度については、応報刑論で判断している。

目には目をとか、命には命をとか、他人に被害を与えた人はそれと同等の不利益を与えられることで処罰される原理だね。

私たちが道徳的に正しいと考えるときは、誰にとっても正しいものとして考えられている。だからその普遍性こそ道徳の本質として探究すべきだ!

道徳法則も追及していかなきゃいけないものなんだね。
自然法則を考えればこのことがわかりやすくなります。
カントは道徳法則と自然法則を分けて考えました。
自然法則は今の科学で明らかにされてきている自然の法則のことです。
昔の人は天動説を信じていましたが、それが誤りだとわかりました。
学びによって自然法則が発見されたということです。
これと同じく、自然界に自然法則があるように、人間界に道徳法則があります。
カントは道徳法則に応報刑論を当てはめましたが、それに対しての批判は今になってもあります。
戦争は違法化されています。
けれど、死刑制度についてはまだ国ごとに考えが違います。
普遍的なものとは、みんなが納得できる行いのことです。
知識を持ってしても批判されていくような考えだとすれば、カントが主張する応報刑論も議論の余地があります。
現代でも言われていますが、事実をしっかりと知ること。
事実を知った上で自分の信念に従う人が集まれば、理想社会が実現できるとカントは考えました。
道徳法則によって立てた規則が変わるのは、まだ普遍的なものに達していなかったとみることが出来ます。
この見方からすれば、カントの道徳法則は相対的ではありません。
カントの道徳法則は実践理性に分けられる
前の章で話した道徳法則と自然法則を分ける考え方を、哲学用語でみていきます。
カントは人間の理性を「理論理性」と「実践理性」に分けました。
カントの道徳法則は、「実践理性」です。
理論理性ー対象を認識する能力
実践理性ー道徳的な行いをしようとする理性
この2つに分けることによって、人が認識できるものなのかできないものなのかを分けました。
認識においては現代の科学でわかってきましたが、道徳的な行いは科学的に証明することが難しくなります。
では、どのように証明していけばいいのでしょうか。
道徳は報酬を手に入れる手段ではなく、その行為自体が目的になっているべきだとカントは考えました。
そのような行為ができる人々が集まり、お互いを尊重しあう世界を目的の王国という理想社会だと考えました。
その理想社会において、道徳法則が実現されます。
実践理性と名付けられている意味として、言葉による限界も考えられます。
カントの道徳法則とはーまとめ
カントの道徳法則とは、人間界にある従わなくてはならない法則です。
定言命法による「~せよ」という無条件の命令です。
道徳法則を実現させるには、道徳そのものを目的として自分の中に信念をもって行動することが求められます。
その信念には、自ら事実を知り思想を深めていくことも要求され、そのような人々による目的の王国において理想社会が実現します。
認識に関する理論理性と道徳に関する実践理性に分けて考えています。

21世紀の哲学に必要な倫理。
これも私が事実を知って知識を得ることが必要だったね。
知識を得る一つとしておすすめです。

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