たびたび哲学者が議論するときに、「哲学は科学である」と言います。
マルクス・ガブリエルも、人間を物として扱う自然科学を批判しつつも、哲学は科学であると述べます。
「哲学は科学」とはどのような意味なのでしょうか。
それを知るには、言語論的転回を理解する必要があります。
詳しく見ていきます。
言語論的転回とは
哲学が科学的に捉えられる理由を、言語論的転回から見ていきます。
言語論的転回とは、独断的、主観的だった哲学を客観的な言語の問題に転回することです。(哲学用語図鑑 参照)
転回とは見方を変えることです。
例えば、昔からの哲学の名言を見ていきます。
「汝自身を知れ」(ソクラテス)
「神は死んだ」(ニーチェ)
「人間は考える葦である」(パスカル)
これらの名言は独断的、主観的に感じられます。
なぜなら、文章の一部を切り取ってきたからです。
切り取った一部から想像するには、自分の意識の中を直接探ろうとします。
これに対し、言語論的転回が起こるとどうなるか見ていきます。
ソクラテスの「汝自身」とはどのような意味か。
ニーチェはどの文脈で、「神」を使っているのか。
パスカルの「考える葦」って何を表しているんだろう。
このように、言葉の意味を分析して、言っているものを探ろうとしていきます。
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転回後:言葉の意味の分析から探る
自分の頭の中のイメージを客観的に表すには、言語しかできません。
言語の意味を分析する哲学を分析哲学と言います。
言語論的転回により哲学が出来ること
言語論的転回により、哲学が客観的な学問となりえました。
このことは何を意味するか。
哲学から誰にでもわかる共通言語をつくることができるということです。
「神」「私」「知ること」など、見えないものを理論化できます。
名言を取り上げて見ていきます。
ニーチェの「神は死んだ」
例えば、主観的な意味で「神は死んだ」と言っている人に対して、私たちは間違っていると言えません。
本人はそれが正しいと思っているからです。
しかし、ニーチェは論理的に「神は死んだ」と言っています。
どのような意味から言っているのかを簡単に見ていきます。
例えば、「神」を広辞苑で引いてみましょう。
「人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。」
「人知ではかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。」
「キリスト教やイスラム教などの一神教で、宇宙と人類を創造して世界の運行を司る、全知全能の絶対者。」
まだ他に意味がありましたが、ニーチェの言う「神」は文脈を通して見ると、どのような意味で使っているのかを正しく理解することができます。
広辞苑からは、絶対者の意味で使っていると推測ができます。
さらに、ニーチェは、「神」という宗教的・哲学的観念を否定しました。
つまり、この名言自体が言語論的転回の意味を含んでいます。
客観的な科学を重視して、主観的な信仰を批判しました。
主観的な意味でとると理解できなかったことが、文脈や意味を調べることで名言自体が共通言語になりえます。
共通言語を理解するには、よく調べて読み込む過程が必要になります。
ここまで言語論的転回を説明して、ふと疑問が浮かんだかもしれません。
哲学は常識を疑います。
常識という土台を疑うのに論理的でありうるのか?と。
この問題にも触れてみましょう。
分析的真理の変化
まずは、分析的真理という言葉を解説します。
分析的真理とは、言葉の意味や概念だけで決まる真理のことです。
国語の解読テストで〇になる答えです。
テストで〇が✖になると、試験で問題になりますね。
ところが、科学実験の結果、論理法則を変更してしまうことがありました。
実験や事実によって答えが変わってしまったのです。
土台が間違っていれば、また論理を再構築する必要がでてきます。
哲学はこれを受け入れて、また再構築します。
他にも身近な例を見ていきます。
現在発売されている広辞苑は第7版です。
その意味として、言葉の使い方の変更があったので広辞苑そのものを書き直しています。
新しい用語の意味として再構築する必要があります。

的を得た意見だね。

的を射た意見とも言うね。

えっ、僕の使い方間違っている?

辞書が意味を変えて、合っているようになったんだって。
この考え方は、哲学を科学的に捉えようとする科学哲学でも議論されています。
実験の結果、論理法則が変わる。
言葉の意味が変化する。
このような事実を受け入れつつ、哲学は論理的に理論を再構築していきます。
その時にあった哲学を客観的に作り上げていくのです。
このような意味で、哲学は固定的な思想や宗教ではありません。
昔の人が説いた哲学は変わることがないので、思想や宗教と深く結びついています。
哲学は移り変わっていくこと自体も、ずっと思考し続けている学問です。
哲学には常識を疑う面と、論理的な二つの面が必要になります。
詳しくはこちら。
>>哲学者とはーとっても短い哲学入門を紹介
では、「哲学は科学」の具体例も見ていきましょう。
「哲学は科学」の具体例
具体的な例で見ていきます。
言語論的転回の具体例
名言では、「知ること」や「神」、「考える葦」などの明確には見えないものを扱っていました。
例えば、「神」という語は、実際に神様を見て名づけたわけではなく、会話の中でうまれています。
他の名言も見ていきましょう。
パスカルの名言
今は誤解されることが多いと言われているパスカルの名言を見ていきます。
「人間は考える葦である」
名言だけから推測すると、宇宙に対してちっぽけな存在の人間だけれど、考えることで宇宙にも勝るという意味だと誤解されがちです。
パスカルはこのように続けます。
「人間は自分が死ぬことを知っていて、宇宙が人間の上に優越することを知っているから貴いのだ」と。
名言単体だと、どちらの解釈が正しいのかわからなくなりますが、他の文脈を読むことで正解がわかるのです。
国語のテストでも正解がありますね。
分析することで客観的に正しいことを判断できます。

国語のテストで80点だった!

読解力が見についてきたね。
言葉を扱っている広辞苑の成り立ちも見ていきます。
広辞苑の発行
広辞苑は1935年に初版が発行されました。
哲学で議論する場合に、言葉の意味を広辞苑から引用できます。
分析哲学の創始者の一人はバートランド・ラッセル(1872~1970)だと言われています。
広辞苑の初刊が1935年なので、その頃から言語分析が進んだと考えられます。

広辞苑ってそんなに古くないんだね。

うん、昔からあったのかと思ってた。
私たちは学校で国語を習います。
なので、論理的思考が自然に出来ていると気がつかない事かもしれません。
歴史としては、哲学が独断的、主観的なものから客観的な言語の問題に変わっています。
ちなみに、20世紀以降の分析的な形而上学は分析学的形而上学と呼ばれています。
言語論的転回とはーまとめ
「哲学は科学」
そのように言われる理由は、言語論的転回にあります。
言語論的転回とは、独断的、主観的だった哲学を客観的な言語の問題に転回することです。
これにより、目に見えないものも共通言語として理解されうるようになりました。
ただ、それには文章を読み込んだり、言葉の意味を捉える必要性があります。
ニーチェの「神は死んだ」の一文も、言語論的転回の意味を含んでいます。
哲学の要素として、常識を疑うことも視野に入ります。
常識を疑う、論理的な議論を構築する、その二つの面を哲学は持っています。
その時にあった哲学を哲学者は考え続けています。
言葉の意味を分析する分析哲学は今の哲学においてかかせません。

辞書があるのって当たり前だと思ってた。
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