物語の再現性

記憶の忘却と物語の再現性について。

おはようございます!けうです。

哲学を身近にけうブログを運営しています。主にTwitterでつぶやいています。

 

今、起きたときにこれを言おう!と起きたのに、普通にコーヒーをいれたりしていたら、その内容がすべて消えていました。

寝起きって不思議ですよね。

夢の内容もそんな感じで、私はすぐに忘れちゃうんですよね。

 

記憶について不思議におもったので、今日は記憶力について話そうと思います。

どうか、お付き合いください。

 

私はたびたび記憶の心理学についてブログであつかっています。

ブログではほとんどは哲学の記事なんですが、たまにこれは心理学、自己啓発に属するのかな?という記事はそちらに分類しています。

それで今のところ、記憶力について多くふれています。

 

なんで記憶力かというと、私はほんとに自分の記憶力に自信がないときがあるんです。

 

日常で言えば、私はレジの仕事をしているんですが、袋とかはしをいるかときいたくせにそれを忘れちゃったり、人の名前をよく忘れちゃうんですよね。

 

なので、自分はばかなんじゃないかって不安に感じるんです。

 

以前、哲学者モンテーニュの話にふれたと思いますけど、もうほんとに同意するんです!

モンテーニュは忘れっぽい人で、本をたくさん読んでいるのに、読んだ本なのかどうかも忘れる。自分が書いた本の内容もわすれてしまいます。

病的なまでに忘れっぽくて、それで困ったこともあるんですよね。

 

では、そんな彼がどうそれを乗り切って本までだしたかというと、逆にそれを利用したっていうんです。

 

例えば、私たちがある話を聞いたとします。

 

記憶力の良い人は、その話をそのまま再現できるかもしれません。

 

でも、記憶力が悪かったらそれはできませんよね。

聞いたはずなのに、その言葉がでてこない。

 

そんなときにどうするかというと、話を作り始めるそうです。

 

モンテーニュが本をたくさん執筆したように、自分の言葉で話しだします。

 

聞いたはずのエピソードが、そのままの形からだいぶズレた形ででてきます。

 

そうなると、もうそれはその人のオリジナルなお話になりますよね。

 

これに触れた心理学もちゃんとあって、1932年にフレデリック・バートレットという心理学者の方が、物語の再現性という実験をしています。

 

 

長い話を聞かせたあと、被験者がその話をどこまで再現できるのか。

そして、再現するとどんなことがおきているのか。

 

実験結果としては、日を追って思い出してもらうと、元のオリジナルエピソードからはだいぶ意味がずれるそうです。

 

でも、わかりやすくなっているそうです。

 

自分の中で物語の確信だけを抽出しているから、後に語られた話のほうが単純化されていてすっと頭に入ってくる傾向が強いという実験結果がでました。

 

この実験からバートレットは、人間は常に何らかの意味を求める存在だと結論づけるに至ったそうです。

 

この実験結果を私に当てはめてみると、私は自分ではよくわからないのですけど、独特だと言われることがあります。

そして、自分なりに理解すると、意味理解が強くてそのまま覚えていないから、自分の言葉でそのことを言うことが多いのかなと。

 

例えば、私は子供に昔話をするときによく情景を飛ばします。

物語だとその背景を想像させますよね。

夕方だとか、竹が生えている、とかせみが泣いているとか。

その背景をとばして、かぐや姫が何をしたとか、何をいったとか、意味のほうにフォーカスしてしまうことが多いなと感じています。

 

記憶を情景と共に思い出す人は、もしかすると語る時もそこの詳細を語るかもしれないですよね。

きっと語る人にとってはその背景に意味がある。

 

さらに、私は話すことに慣れていないから、その意味理解が通じなくて混乱させることもあるのかなと思いました。なので、話す練習はしたいなと、またヒマラヤをさらにやり続けたいなと思います。

 

意外とブログ記事では、私は自分が書いた文章にたちかえって、こう書いているからここをコピーしてまたこの文につけて、と工作しています。

 

すらすらと文章をかいているわけではないんですよね。

そしてまたパソコンにヒマラヤの記事を書きつつ、それを読んで投稿しているという。

普段、人とは形式的なやりとりをすることは多いです。

私の頭の中には、人とやりとりするようマニュアルがあって、

お客さんがこういったらこういうというマンガの場面が浮かんできたり、

同僚が雑談をしてきたら、それに合わせた本の情景を思い浮かべたり。

会社の接客マニュアルは頭にはいっているので、それ以外のことがおきると急に敬語がすっぱりと抜けてしまって慌てることもあります。

一瞬頭が白くなってから応対するので、独特な間があるのかもしれないな、なんて感じています。

外見からはそれが悟られていないようで、てきぱきしている人だと思われる場面も増えました。

 

最近よく思うのが、Twitterのリプ欄なんかはそのマニュアルを意識しなくていい方が増えてきたなとか、後は私の子どもたちですね。

 

マニュアルを意識しなくても、そのまま話せます。

 

私は語りを学んでいるなと思いました。

 

では、今日もありがとうございました。

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