ノーカリキュレーションと倫理の関係とは

ノーカリキュレーション雑談哲学

カリキュレーションcalculation)とは、計算や推定すること、見積もり、熟慮、打算だと英和辞典にあります。

これと逆のことを、ノーカリキュレーション(no calculation)と表します

実際の言葉ではnoとcalculationが区切られているので、造語です。

意味は、計算や推定などをせずにとっさに動いてしまうことを指します。

ノーカリキュレーション=計算なしの行動

この用語で何を示したいのかと言うと、私たちはよくノーカリキュレーションを体験します

例えば、子どもを車から助けようとしたり、赤ちゃんが窓から落ちようとしている時にとっさに手を出したりすることです。

ノーカリキュレーションは、今日では脳科学でもあきらかにされています。

脳に「意識的な意思決定」以前に、「準備電位」が生じていることが実験により判明したそうです。

簡単に言うと、脳で助けようと意識する前に、身体が動こうとしていたことがわかりました。

身体がとっさに動く計算のない、ノーカリキュレーション

この用語を倫理に応用していくことで、ある倫理の特性が明らかになります

では、詳しく見ていきましょう。

ノーカリキュレーションから見る倫理の特性

始めに倫理とは何かを見ていきましょう。

現代倫理学は3つにわけることができるのですが、その内の一つ、メタ倫理学直観主義を見ていきます。

分けられるとわからなくなる。

とりあえず、いくつか種類があるんだって覚えてね。

倫理学における直観主義とは、倫理は直観でしか捉えられない、という立場のことです。

ジョージ・エドワード・ムーア(1873~1958)が唱えました。

ムーアは「もし私が『善さとは何か』と尋ねられたら、私の答えは、善さとは善さであり、それでおしまいである」と述べているそうです。(続哲学用語図鑑 参照)

例えば、親が子どもをとっさに助けた行動を、私たちは直観で倫理的だと捉えます。

しかし、この行動を他の言葉で言い換えようとします。

すると、皮肉な言い換えが生じてしまいます。

親は子どもを助けないと自分が困るから助けたのだろう、と。

どんな行動も他の言葉で説明しようとすると、非倫理的になってしまうのです

倫理行動の理由は語れないっていうのが直観主義!

そうそう、語ると倫理じゃなくなるよ。

直観的に倫理だとわかるのが直観主義です。

直観主義では、直観的に行動もしていることになります。

親が子どもを助ける行為自体が直観的だということです。

この直観主義で判別した倫理的行動では「計算の結果ではない」ということが強調されます。

つまり、ノーカリキュレーションによって倫理が実行されている、ということを主張します

例を図にします。

親が子どもを直観的(とっさに計算せず)に助けた

親が子どもをノーカリキュレーションで助けた

なぜノーカリキュレーションを使うことを主張するのか。

具体例とともに見ていきます。

ノーカリキュレーションを導入する利点

では、例題から倫理をみていきましょう。

ノーカリキュレーションを具体例から見ていく

有名なトロッコ問題から倫理を見てきます。

ある壊れたトロッコが線路を通ります。
そのトロッコは止まれません。その先には作業員が5人いました。
そのまま行くと5人が死んでしまいますが、私はトロッコを切り替えるレバーを知っています。
レバーを引くと5人は助かります。
けれど、逆の路線にいた1人が死んでしまいます。
私はレバーを引くのでしょうか。

ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?
という問題です。

ここではまだ倫理が定まっていない状態です。

しかし、文章を読んで考えている時点で、直観主義によればもう元の倫理ではなくなっています

倫理は科学のように客観的に分析できないのです。

では、この問題をどのように判断すればいいのか?

それはその場に立ち会って、私がどう行動したかによって倫理を決めるしかないのです。

私がそのレバーをとっさに引くか引かないか(ノーカリキュレーション)によって、どちらの行動が倫理的か決まるのです。

もしノーカリキュレーションが存在していると私が知らなければ、すべて計算から起こっていることになり、そこに倫理なんてない、という結論が出てしまいます。

私は倫理の出所を明確にするためにノーカリキュレーションという言葉を導入しています

かといって、そのトロッコ問題のような殺人に直結するものは、日常的にはないかもしれません。

では、身近にしてみましょう。

私が公園を散歩していました。
目の前にゴミが落ちています。
拾うでしょうか、通り過ぎるでしょうか。

このような問いならば日常的になります。

私が意図した、しないにもかかわらずゴミを拾うとしたら、それは私にとって倫理的な行動です。

そして、素通りしたときに嫌な気持ちが襲ってきたとしたら、それは倫理的な行動はしていないけれど、そこに倫理があったということです。

ただ素通りして何も思わない、ということもありますね。

ノーカリキュレーションの行動によって個人の倫理が明確になります。

①ごみを拾うのが倫理的な行動
②ごみを素通りしたけれど嫌な気持ちが生じたことに倫理があった
③倫理はなかった

ノーカリキュレーションによりこのような分析が出来るのです。

私達が日常的にしていることを、倫理的に考えることができます。

あっ、僕ノーカリキュレーションでごみ拾った!

それが倫理的だと思ったんだね。

では、次になぜこの言葉を直観と表現せずに造語のノーカリキュレーションと表現しているのかを見ていきます。

なぜ直観ではなくノーカリキュレーションなのか

直観とは、日常でもよく使われている言葉です。

漢字にすると直観ですが、他の漢字でも直感があります。

直観=直接に本質を見抜く
直感=瞬間的に感じとる

文字にして初めてわかる違いです。

それでもこの直観に対して、明確な違いというのが体感としてすぐに私には思い浮かびませんでした。

倫理の問題では、瞬間的に感じとってもいて、それが本質でもあることだからです。

直観という概念は大きくなりすぎています。

もとの直観をあたってみます。

広辞苑から引用すると直観とは、「思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用」のことを言います。

繰り返しになりますが、私は倫理において「思惟作用の結果ではなく」の部分を強調したいのです。

とっさにした計算されていない行動について、その行動を分析する言葉も意味が尖っている言葉を使うことで、明確にされると感じたからです。

ノーカリキュレーションってとっさにでた。

言葉自体がノーカリキュレーションになれば身近だね。

では、造語をつくる利点についても述べていきます。

造語をつくる利点

哲学は一つの概念の意味を広げていきます。

おそらく、直観という言葉は哲学においては可能な限り引き延ばされて使われています。

もし私が直観という言葉を用いたとき、広辞苑で説明した後述の「精神が対象を直接に知的に把握する作用」を意識されてしまうと、うまく倫理行動が分析されません。

なぜなら、私は「思惟の結果ではない」という部分を強調したいからです。

誤解を生じさせない為に、新しい造語ノーカリキュレーションを使用します

哲学用語が誤解されて使われているケースは多々存在しています。

我おもうゆえに我あり」の

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」の「人間」。

脱魔術化」の意味。

これらはよく誤った使われ方をしています。

それならば、既存の言葉の一部を強調させるような用語を作りだしたり、新たな事柄に合う言葉を創りだしたりすれば、意味が捉えやすくなるのです。

フッサール 起源への哲学」斎藤慶典著の一説を引用します。

言葉には通常の意味もある以上、誰もがまずはその通常の意味で読むだろう。そこに何かを理解しようとする以上、そうでしかありえない。したがって、誤解は避けられない。誤解されたそれは、大抵の場合、何の変哲もない当たり前のことか、あるいは逆にまったく意味不明のものにしか見えないのだから、この誤解を乗り越えてさらに先に進む人はそう多くはないに違いない。

フッサール起源への哲学 p86

この誤解よりは、新しい用語を用いることで新たな概念を考えていく姿勢を受け継ぎ、ノーカリキュレーションを倫理に活用していきます。

概念が明確化することで、誤解が少なくなります

さらに、概念が使いやすくなることで、身近に意識することができます。

私は何をとっさに計算なしに行動しただろうか、ノーカリキュレーションは何だったか、と思い起こすことができるからです。

ハイデガーはよく新しい言語新作(ネオロジスム)をしていました。

新しい概念を導入することによって誤解が防げ、記憶にも残るのです。

ずっとノーカリキュレーションって言ったら馴染んできた。

それで無意識が自覚的になればいいよね。

ノーカリキュレーションと倫理ーまとめ

ノーカリキュレーションとは、計算なしの行動です

この概念を導入することによって、私たち一人一人が自分の倫理について考えることができます。

今とっさにした計算なしの行動に意識的になれるからです。

現代倫理学でいう直観主義では、倫理を他の言葉で表現しようとすると倫理ではなくなってしまいます

「善さとは善さ」なのです。

なので、その倫理を捉えるためにはその倫理を起こした行動やふいに思ったことを意識化する必要があります。

そのために、ノーカリキュレーションという造語を導入します

始めは使いにくいかもしれませんが、この言葉を覚えてみて下さい。

すると、日常的によくノーカリキュレーションによる行動が多いことに気がつかされます。

あっ、ノーカリキュレーションで「いいね」押してた!

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