パノプティコンとは、哲学者ベンサムが考案した監獄のことです。
この言葉を知っておくと、監視社会と関わっていく中で役に立ちます。

呪文みたいだね!
パノプティコンとは
パノプティコンの由来は、ベンサムが考案した監獄のことです。
中央に監視塔があって、周囲に円の形で独房が配置されています。

フーコーは民主国家をパノプティコンに例えました。

民主国家はパノプティコンと呼ばれる監獄のようだ!

民主主義は私たちの社会だよ!
監視塔はマジックミラーになっていて、監視員が囚人を監視しています。
囚人からは監視員が見えない状況です。

誰が監視員なの?
それは、囚人がみずから作り上げた架空の監視員だと考えられます。
一人一人が架空の監視員を作り上げで、囚人はそれに従います。

自分に従うってことか。どこかで聞いた!

呼んだ?
フーコによれば、18世紀以前は絶対的な権力者による支配でした。

従わないものは死刑!

ひどい
それが19世紀以降になると、民主主義や資本主義による目に見えない権力が作り出されました。

悪い事してる人がいるから通告!
このように、今の社会に合わせるように監視したり、監視されたりが個人によって起こるようになりました。
日本の教育では、一列にならんだり静かに授業を受けることを求められます。
買い物でも順番が来るまで並ぶことは日本の常識になっています。
会社の上司や、先生の指示に従っています。

確かに、周りの目って気になるね!
つまり、パノプティコンとは、一人一人が囚人になり監視員にもなった監獄のことです。

最近、特にこの傾向が強い気がする。
パノプティコンを意識する理由
パノプティコンが意識されるようになったのは、19世紀以降です。

それまでは偉い人に従ってきたんだね!
フーコーは人々の考え方はエピステーメーに支配されていると考えました。

時代ごとに異なる知の枠組みのことだよ。
この考えによれば「人間」ができたのは、19世紀になってからだとフーコーは考えます。
科学の発達により、人間と動物を分けて考えるようになったからです。
今までは、目で見てわかるものを分類してきました。

スイカ?これは果物だよね?
目による分類によれば、一見すると果物でも正解な気がします。

正式に分類すると、野菜なんだよ。
いろいろな学問の発達により、細かく区切ることが可能になりました。
19世紀以降に、心理学や人類学や歴史学ができてきて、「人間」とはなにかの探求がはじまります。(哲学用語図鑑 2015 田中正人)

今まで漠然としていた「人間」を考えだしたんだね。
そして考え出していく中で、ある規則を見つけ出しました。
列に並ばなければいけない、他人に迷惑をかけてはいけない、兄弟間で結婚してはいけない。
人はこのような文化や社会の枠組みに従うように見られます。
周りの構造によって自分の行動が決められていると考える思想を構造主義と呼びます。
構造主義とは
構造主義とは、人間の言動はその人間が属する社会や文化の構造によって規定されていると考える思想のことです。(哲学用語図鑑)
この考え方によれば、人の本質を否定します。

なんで?みんな自由に行動してる気がする。
それぞれの時代の構造が、それぞれの時代の人を創っただけ。
エピステーメーによりこの説明が可能になります。

その時代の教育を受け、その文化で育っているから枠組みを出られないってことだね。
その時代の常識にとらわれるということです。
社会や文化があって、その中の違いが個人になる。
つまり、構造主義とは個人の思想は、構造によって規定されるという考え方です。
パノプティコンと構造主義
パノプティコンは監獄です。
けれど、その監獄は社会であり文化でもあります。
それは構造主義の考え方によって出てきた監獄になります。

でも、ルソーが民主主義を説いたとき、監獄なんて発想なかったよ!
ここでルソーの直接民主制の思想に戻ると、ルソーは一人一人が話し合って共通の利益に従うことを理想としました。

そうか、社会が大きくなっているから、私は話し合いをしてない!
常識をそういうものだと受け入れてる気がする。
話し合いによることがなく、構造として成り立っている文化や常識に従うことで、自分が主体ではなく監視されているという状態を作り上げます。
例えば、ある日、会社に新しい規則が出来たとします。

疫病により、県外に出てはいけない。
昔なら、罰則としては死刑や体罰などがありました。
しかし、今は謹慎処分や自宅待機になり、それをした罰はそれほど重いものではありません。

県外に出たら退学だってプリントが配られたら、ニュースになってたよね!
強い罰は民衆によって批判の対象になるので、新しい規則にはあまり設けられません。
強い罰のかわりに自分が監視者になって、自分を律します。
そして、その監視者が次に問題になってきます。

そうそう、私は常識や枠組みに自分で納得はしてなくても、従っているだけだから!
納得はしていないけれど、従う。
このストレスによって、主に2つの心理的な弊害がうまれます。
①認知
②道徳感覚
(この弊害は「21世紀の啓蒙」環境問題の章から抜粋)
認知
認知の弊害は、どの行動がどれだけ利益をうみだすのかがわからないということです。
例えば、疫病に苦しむ今、常識にしたがってマスクをしてみたものの、マスクの効果がどれほどのものかはわかっていないということです。

家にずっといても、それがどのくらいの利益をうむのかも想像しにくいな。
自分が理解するまでには、様々な知識を得る必要があります。
そして、自分が知識を得た後でも、社会との兼ね合いから監視者を常に自分でつくりあげています。

自分で得た知識としては、納得できないけど社会の雰囲気に従うってこともあるよね。
つまり、自分の知識に確信が持てないってことだね。
道徳感覚
道徳感覚による弊害を本からみてみます。

心理学の研究では、人が他人を評価する基準は、利他的な行動をとるなかでどれだけ多く時間とお金を犠牲にしたかであり、達成した複利の大きさや量はあまり評価されていないことが判明した。
本では、人の道徳感覚というのはあまり道徳的ではなく、そのせいで非人間的になったり、懲罰的な攻撃へと向かったりしてしまうと書かれています。
この道徳感覚を考えなければいけない理由として、パノプティコンはベンサムによって説かれたと言いました。
ベンサムは人間とは快楽を求め、苦痛を避ける生き物だと考えました。(功利主義)

道徳感覚による基準も、怪しいってことだね!
この基準もあやふやになるため、「共有地の悲劇」という心理的作用ももたらされます。

共有地の悲劇?
例えば、誰の所有物でもない公園に行ってそこでポイ捨てをしたり、花を摘んでしまったりすることです。
共有物は責任の所在がはっきりしないので、管理が不十分になります。
誰かが損をするけれど、それが誰かはわかりません。
そんな中では、誰かの犠牲によって利益をうけることになります。

これって、コロナウイルスにかかっている人が、ばれないからと夜の街にくりだしたことも言えそうだね。
環境問題でもやっかいなのは、この2つの心理的作用だと本ではかかれていました。
パノプティコンからの脱却
パノプティコンは監獄です。
監獄からは脱却したいと思うのが人間です。

罰のイメージって、隔離されたり閉じ込められたりすることだね
19世紀以降に、様々な学問が研究されて構造主義によって人間が解明されてきました。
心理学や社会学なども人間を定義しています。

学問に従うと、社会で成功したりビジネスで成功したりするよ
この枠組みによる恩恵を私たちは受けています。
けれど、恩恵を受けるにつれて「人間」とは自分の意思で主体的に行動しているわけではない、という事実もつきつけられます。

「人間」は波打ちぎわの砂に描いた顔のように終焉するだろう。

終焉!?(しゅうえん)
人間の概念の再考がせまられているとフーコーは言います。
今まで実存主義でも捉えられていた自由な「人間」を再び考える機会が必要になったのです。
波によって消された「人間」は、パノプティコンにいる何かになると考えられます。
しかし、この意志をもった「人間」を波打ち際から再び取り戻せることはできないのでしょうか。
ここでは3つ挙げます。
①21世紀を啓蒙する
②実存主義を考える
③二項対立を考える
21世紀を啓蒙する
21世紀について啓蒙することで、パノプティコンからの脱却を考えます。
哲学の歴史を見てみても、その思想に対立する思想がうまれています。
哲学は否定の連続だからです。
実存主義を考える
構造主義と対立する思想に実存主義があります。

実存という概念を考えるのもありかな。
人間は自由で、人間には本質があるとする考え方です。
波で消える前の「人間」の考え方です。
今では新実存主義という考え方もあります。
二項対立
捉え方の問題もあります。
監獄を悪だと考えるから悪なのであって、根拠のない優劣を考えてしまってはいることです。
例えば、飼われている猫や犬は、野生よりも長生きします。
閉じ込められることで、寿命は延び、見た目も良くなります。
他に監視されているとは、あなたのことを見ていることでもあります。
ファンはあなたのことを見てくれています。

ファンがいるって嬉しいよね。
パノプティコンがどのような監獄なのかを考えるということで、監獄から脱却します。
パノプティコンまとめ
パノプティコンとはベンサムの考案した監獄のことです。
それをフーコーが民主国家を監獄に結びつけました。
19世紀以降に、「人間」という概念が生まれました。
そこから構造主義がでてくることで、「人間」の概念の再構築がはじまります。
構造に従うことで、人間は主体性を欠くと考えられています。
しかし、パノプティコンを脱するという考え方をすることもできるのです。

監視社会を考えることで、そのストレスがなくなるといいね!
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